なんか良かった

日々のなんか良かったポイントを貯めています

判断基準が変わったことについて

矛盾するふたつの考え方があって

その二者択一で迷ったとき。

 

以前なら

 

「どちらが正しいのか」

「どちらの考え方にすべきなのか」

 

という選び方をしていたと思う。

 

最近は、その判断基準が少し変わってきた。

 

「自分はどちらを信じたいか」

「どちらを実践する自分でありたいか」

 

そんなふうに自分を基準とした選び方をしている。

 

だからといって、この選び方をすると絶対にうまくいく、というわけでもないけど

どちらが良いか選択するまでの苦悩する時間は、ずいぶん減ったように思う。

 

そして何よりいちばん良かったことは、

判断基準を自分以外のなにかではなくて

自分自身に委ねられるようになったこと。

 

選択して、よし!となったとき

自分、なかなかやるじゃん

と思えることが、いちばんうれしいかもしれない。

 

 

自然体でいるには?と、すこしふしぎな話について

ここのところよく思っているのが「常に自然体でありたい」。

 

むかしに比べたら大分、自分を作らずにいられるようになった。

だけど、仲良くなりたい、とりわけ「気に入られたい」という心理が働いていると、途端に本来の自分が奥に引っ込んでしまう。

 

「本来の自分では愛されない」という思い込みが、まだしつこく根を張っているのかもしれない。

これを書いていて、今改めて気がついた。

これについてじっくり考察してみたいけど、今回書きたいこととは微妙にずれてしまうので、ひとまず横に置いておく。

 

「常に自然体でいたい」と思ったわたしは、次に「ではどうしたら自然体でいられるか」を考えてみた。

 

こうしたら良いかな、ああしたら良いかな。

実際に思いついたことも実行してみる。

だけど、なかなか思った通りの結果が出ない。

 

自然体、自然体、自然体。

心の中で何度も唱えて、意識すればするほど不自然になっていく。

 


急に話は変わって。

エンジェルナンバーというものをご存知だろうか。

簡単に言うと、日常生活の中で特に意識をしていないのに何度も出会うゾロ目の数字や特定の数字のことだ。

各数字には意味があり、それらを自然と目にするときは天使から幸運のメッセージを送られている、という考え方だ。

いきなり天使とか言われても…な方は「偶然おつりが777円でなんかラッキー」みたいな感じを想像してみると良いかもしれない。

 


最近、よくそのエンジェルナンバーを見る。

時間を確認するためにスマホを見ると11:11。

お風呂でふと顔を上げると11:22、次に目に入ってきたのがまた11:33とか。

それが何回も何日も続いたり。

なんだか嬉しくなってその意味を調べてみると、だいたいが今の自分や進んでいる道を肯定して、応援してくれているメッセージ。

(聞きかじった程度の知識しかないので詳しく説明できませんが、興味ある方は調べてみるとおもしろいかもしれないです)

 


わぁすごいなぁありがたいなぁと思いながらも、ふと「実際は全然うまくいってないよなぁ」という弱気な思いが頭をよぎる。

心にひっかかるのは、自然体でいたいのに不自然になってしまう問題。

 


その時はお風呂のんびりぼーっとリラックスしていたので、ゆるーい気持ちで呟いてみた。


「でもわたし、どうすれば良いか全然わかんないよ〜…」


そしたらそれを呟いた瞬間、かなり被せ気味に


「どうもしなくていいんですよ」


って言葉が自分の中に浮かんできた。

 

別に、どこからともなく声が聞こえたとか、預言や神託とかそういった神秘めいた感じじゃない。

普通に自分で何かを考えている時みたいな感じだった。

 


えっ、どうもしなくていいの?

どうもしなくて良いんだ〜!?

 


努力しなくて良いならこんなに楽なことはない。

よくわらないながらもとりあえず喜んでみたが、いやそういうことじゃないよな、と我にかえる。

 

そして突然ひらめいた。


そっか。

どうもしないということは、何か策を弄して成し遂げようとしなくていいってことなのかな。

どうもしない、無理やりどうにかしようとしない。

「自然体でありのままの自分で居たいんだ〜〜〜〜!!」

って力んでいたって、意味ないんだ。

むしろ力んでいたら本末転倒。

まず、力を抜くことだ。

無駄に入っていた力を抜くことで、自然体に近づくんじゃないか。

 

実際に意識して力を抜いてみると、浮ついていた体の重心が下に下がって、しっかりと地に足がついているような心強い感じがした。

努力でどうにかしようとしていた時よりも、今はずっと自然体が近くなった気がしている。

 


そしてこれを書いていておもったこと。

 

エンジェルナンバーとかを始めとしたすこしふしぎな世界って、神秘的で魔法みたいでとても心惹かれる。

うまくいかず行く先が見えなくて途方に暮れているときみたいな、精神的に弱っている時なんかは特にそうだ。

そんな自分を救い出してくれる奇跡的な神の手をつい想像してしまう。

 

だけどふしぎな世界の力を借りるということは、そのふしぎな力に期待して頼りきったり、魔法みたいな効果を期待することじゃない。

自分の成長をサポートしてくれる手段のひとつに過ぎないのではないか、と。

 

ジムで筋トレを指導してくれるトレーナーさんみたいな。

筋トレに詳しい友だち、くらいでも良いし。

 

ちょっとあやしくて大げさでとっつきにくい存在じゃなくて

気軽に取り入れて楽しみながら付き合っていけたらいいなぁと思う。

 


さいごに。

この記事の締めをどうするか「うーん」と斜め上を見ながら考え込む。

そばにいた人に話しかけられて会話をし、また視線をふとスマホに戻したら

なんと。

22:22でしたとさ。


おわり。

 

損すると思ってたことが、実は得なことだったについて

今回は、今まで自分が、できれば人に見せたくないな、隠したいな、と思ってた部分も、少し書いてみようと思う。

なんか書いてみても良いかな、と思ったので。

 

好きじゃない人に優しくすることや、あからさまに売られたケンカから逃げることは、自分にとって「損」「マイナスである」という認識が今まであった。

好きな人たちにはいくら優しくしてもそうは思わないが、相手が好きじゃない人だと、自分が削られていく気がしたのだ。

売られたケンカだって、向けられた悪意(と解釈したもの)に背を見せることは、相手の思うツボ、相手に良い気分を与えてしまうことだと思ったので、噛みつき返してやらなければ自分の気が済まないところがあった。

 

だけど、今までそれらに則った行動をしてきてみて、気持ちの良い結果を迎えられたことは無い。

自分から望んで、好きじゃない人には優しさを見せず、自分から進んで、売られたケンカを買っているのにも関わらず。

 

今、これを書きながら「いや、そりゃそうだろ」と思う自分がいるが、当時はそれに疑問すら抱かず、単に好まざる者たちと関わったからもたらされる結果なんだ、と認識していたと思う。

 

ある時、ぎりぎりまで我慢したがとうとう抑えられずに売られたケンカを買った出来事があって、そのあと一日中そのことや気分を引きずってしまったことがあった。

起こった出来事の一部始終を頭の中でエンドレスに再生して、怒りを追体験して、自己嫌悪を感じたり、もやもやもやもや。

あまりにも感情が乱れてしまったので、取得したばかりのセルフセラピーで、自分をケアすることにしたのだ。

 

その時に初めて、気がついて、意識したことがあった。

 

それは、自分のした行動に、傷ついたり、ダメージを受けている自分が居ること。

 

そうか、攻撃性を露わにした自分に、怒りを抑えきれなかった自分に、冷淡な自分に、相手を傷つけたかもしれない自分に、ショックを受けていたのか。

 

自己嫌悪に陥ったことは何度もあったけど、それは自分で自分を裁いているからであって

こんな風に、自分に寄り添ってみることは、考えてみると、今まで目を向けたことのない部分だった。

 

 

それに気がついたら不思議なことに、また好きじゃない人と関わらねばならない場面と、八つ当たり的にケンカを売ってくる人が、わたしの前に現れたのだった。

一瞬、なんなの〜と嫌になりかけたけど、そのすぐあとに「あれ、もしかしてこれってテストなのかな」という閃きがあった。

 

「ついこの前、他人に攻撃的になることで、同時に自分をも攻撃してダメージを受けていることを学びましたね。

さあ、ここで問題です。

今、あなたの前に、好きじゃない人と、なんだか知らないけどケンカを売ってくる人が現れました。

あなたは、どんな行動をとりますか?

学んだことを、実際にどう活かせますか?

また、そうすることで、結果はどう変わるでしょうでしょうか?」

 

…みたいな感じだな、と。

 

もう、他人を攻撃して、傷つけて、自分も傷ついて、自分を責める、そんなのは御免だった。

 

なので、まずは好きじゃない人に対して過剰な反応はしない。

だけどそれと同時に我慢もしない。

関わることにまぁ抵抗はあったけど、優しくも冷たくもなく、中立を意識して、やるべきことをやる。

次に、立ち向かう理由もないケンカや感情をぶつけてくる人とは、勝負しない。

少しでもおかしい、と不穏さを察知したら、その場から去る。

逃げる、というより、相手の世界の登場人物にならないこと。

もしくは自分の世界の登場人物にさせない。

さっとフェードアウトする。

 

そういう答えを示してみた。

 

そうしたら、世界は全然違った。

まず、気分が良い。

好きじゃない相手やケンカを売ってくる相手にも、冷静に対応できる自分、やるじゃん、と思った。

自己嫌悪のかけらもない。

そして相手との摩擦も起きない。

損をする!と思っていたが、全く損していない。

損どころか、得してる。

むしろ得しかしてない。

びっくりした。

 

この頃、自分を大切にすることや、誰かがどう思うかではなくて、自分がどう思うか、に焦点を当てて生きてきたと思っていたのに、

激しい感情ばかりに目がいってしまって、相手の損得とか、相手がどう思うかで行動を決めていたようだった。

 

決して忍耐や我慢のススメでもなく、大人になりきれない短気な面を裁くのでもなく、

 

やっぱり、大事なのは、自分がどう感じるか。

闇も光も抱えているけど、それで良くて

そのうえで、どっちを選んで、どんな自分でありたいかどうか。

 

それが自分とって大事なことなんだ!と、発見できたのが、最近のすごく良かったである。

 

 

ちなみに、誤解を恐れず書くぞ!と思って書いたけど、やっぱり誤解はこわいので書きます。

この記事を読んで、すごく好戦的な性格なのね〜ともしかしたら思われるかもしれませんが、ケンカを売られたり買ったりはごく稀なことです。レアイベントです。

ほんとですよ。

 

おわり。

人の成長に気づける人は、自身の成長にも気づきやすいについて

少しずつだけど、ずっと抱えていた家族の問題について、着地点や目指すところが見え始めてきた気がする。

まだ解決にはいたらなくても、暗中模索のすえに一体何をどうすればもうわからない、と途方に暮れていた頃とは、まったく心持ちが違う。

詳しいことはまだ書けないし、相手があることなのでこの先どこまでシェアができるかわからないが、何かしらかたちにできたらな、とは思う。

 

このタイミングで、同じ問題を共有し、右往左往しながら暗中模索を共にしている母から、こんな言葉をかけてもらった。

 

「今回のことであなたにいろいろなことを教わって、本当に良かった。」

 

この家族の問題に向き合うにあたって、わたしと母はたくさんのことを話し合った。

わたしが仕事を辞め学校に通い始めて、家にいる時間が以前より増えたこともあるが、ここまで母といろんなことを話し合う機会はなかったように思う。

 

どう向き合えば良いかとか、どう考えたら楽になるとか、

こんな良いことを思いついたとか、他所で仕入れてきた有益な情報のシェアだとか、

このブログに書いているような良かったこと、気づいたことを伝えたり、

時には、自分の過去の経験や、これからやりたいこと、身近に起こった出来事、もちろん愚痴や泣きごとも多かったと思う。

すこしふしぎな世界の話をするときは、母にも受け入れてもらえそうな言葉に変えて伝えてみたり。

 

もともとわたしは、何かを改善させる、何かを学ぶということが好きだったので、折にふれて良かったことを母にシェアしていたことはあったが、だいたい決まって母の反応はこうだった。

 

「そうなんだ。とても良いってことはわかったけど、やっぱり忘れちゃうし、めんどくさくてやらないかもな〜」

 

余談だが、当然、それらをやる、やらないは本人の自由だ。

ちょっとさびしいなあとは思うが、わたしも教えを説いているつもりはなく、自分が良かったと思うことを発表しているだけなので、そこから先はそっと見守るスタンスを努めている。

時たま湧き上がるコントロール欲をどうどう、と落ち着かせる場面も、まあ、無くはないが。

 

そんな感じの母だったが、ここ最近では、ちょっと様子が違った。

 

自分の気持ちがよくわからない、と言った母に、少し前に知ったばかりのノートを使ったとある思考整理法を伝えたことがあった。

私自身もたまに自分の本当の気持ちが分からなくなることがあるので、これは良いぞ、とスマホにメモを取っておいたのだが、やらずに忘れていたものだ。

母に伝えたことでその存在を思い出し、私もやってみるかーとは思ったが、案の定、その晩にはその存在を再び忘れていた。

するとその翌朝。

 

「昨日のノートやってみたら、自分の気持ちわかっちゃった!」

 

そんなふうに嬉しそうに話している母を見ながら、

「えっもうやったの!?私なんかすっかり忘れてたのに!」

と、その変化に驚いたことをよく覚えている。

 

その後の母の変化もめざましく、人は自分の気持ちが分かって、覚悟を決めると、行動も早く、そして現実も同じようなスピードで動いていくんだなぁ、という事を母の姿を見て実感した。

 

 

冒頭に戻るが、そんな母が私にかけてくれた

「今回のことであなたにいろいろなことを教わって、本当に良かった。」

という言葉。

母はしきりに私の成長を褒め、私のおかげだとばかりに言ってくれたけれど

その言葉を聞いて、すぐに心に浮かんできたことがあった。

 

確かに私はたくさんのことを母に伝えてきた。

だけど、それを素直に受け取って、自分のなかに落とし込んで、

実際に行動に移してきたのは母自身だ。

すごいのは私だけじゃなくて、ここまでこれた母も相当すごいんだよ、と。

 

そのことを一生懸命母に伝えたが、拙い言葉になってしまったので、母の反応をみるに、真意が伝わったのかは、ちょっとわからない。

 

だけど、そこにはもうひとつ、私にとっても嬉しい気づきがあった。

 

たぶん、少し前の自分だったらそう言われて、自分の成長を喜ぶにとどまったよう思うのだ。

こんな風に、自分以外の人の成長に気づかなかったかもしれない。

以前、何かに記事で「人の成長に気づけない人は、自身の成長にも気づきにくい」と読んだことがある。

これは、自分に厳しい人の特徴として挙げられていて、ちいさな自分の成長にも気づいてあげようね、じゃないと人の成長にも気づけない人になっちゃうよ、的な話だったと思う。

私はそれを読んでドキッとしたことがある。

 

だから、今回のように、自分以外の人の成長に気づいて、

それを認めて、素直に褒められるようになっている、…ということは、

自分自身にもそれができ始めているということになるのだ!

 

自分の成長も、自分以外の人の成長もとってもうれしい。

人の成長に気づける人は、自身の成長にも気づきやすい。

その原理が、よーくわかったような、とっても良い出来事だった。

 

忘れていた1年前の良かったを思い出したことについて

突然自由になってなんか笑っちゃう。

 

アプリで書き溜めている今年で4年目の10年日記。

去年の今日の日記の書き出しが、冒頭のものだった。

どうやら前の職場を退職して1年経ったらしい。

常套句だけど、長かったような、あっという間のような。

 

そうか〜1年経ったのか〜…

 

冒頭の書き出しをどんな思いで書いていたのかは、自分が書いた日記なのでもちろん覚えはあるし、なんとなく想像はできるが、もう忘れてしまった。

日記を読み返してみると、出社最終日の出来事とそれにまつわる思いが記されていて、最後はこう結ばれていた。

 

わたしは愛されていた。本当にありがとうございました。

 

なんだかハッとする思いだった。

 

人間はどんどん忘れていく生き物だ。

しかも脳科学的にも、防衛本能がゆえに、放っておくとマイナスな情報ばかりを蓄積していく傾向があるらしい。

 

自分が愛されるに足る存在であること。

愛されていたと、毅然として肯定すること。

そして愛を与えてくれた存在や出来事に感謝すること。

 

1年前に、それらが出来る自分が居たことを、少し忘れていたかもしれない。

こんなすごいことを忘れてしまうんだから、やっぱり良かったことは日記やこのブログにどんどん記していこう!と改めて思った。

 

たった1年だけど、うれしいタイムカプセルを掘り出したような、そんな出来事だった。

 

ゴールデンウィーク中に千葉におでかけしたについて・その2

2019年5月1日と2日 千葉旅その2

令和の時代が始まりました。

 

誕生寺

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参道をさっそうと走る自転車でお参りおじさん(敬虔な感じの方だった)

 

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お店の人に「ごはんいるの?いらないの?どっち?」と問われて切なげな表情のネコチャン

 

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ごはんを食べた後は、車の下にサッと避難

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灯台の赤 山の緑 空と海の青

 

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かわいい

 

天津神明宮

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近くにパワースポットと呼ばれている神社があるらしく、

へぇ~!行ってみたいね!と言っていたら、

近くの道を通りかかった車が

天津神明宮では、本日ついたち市を開催しています~」

とスピーカーでアナウンスをしていて、びっくりした。

 これは呼ばれてる!行くしかない!とわくわく。

 

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本日2度目の自転車でお参りおじさん

 

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令和元年めでたく開く

 

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写真にはほとんど写っていいませんが、人がたくさんいて、お店もいっぱい出ていて、とても賑やかだった!

 

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神様がいそう~

 

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力強い

 

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なんだかお正月みたいでうれしかった

 

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境内の喫茶店 お座敷に上がってひとやすみ

 

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初夏のスイーツセット!(シュークリームがあっちを向いてしまった)

 

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天津神明宮のなかでいちばん有名という御神水で、淹れてくださったコーヒー!

 

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龍神様のしっぽかな

 

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近くにあったトラクター 水たまりに映る姿がかっこよかった

 

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帰宅する日の海 うす曇り

 

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カワウが羽を広げて乾かしていた

 

千葉、だいすきだな!

 

ゴールデンウィーク中に千葉におでかけしたについて・その1

2019年4月29日 と30日 千葉旅 その1 

ゴールデンウィーク中に千葉におでかけしたときの写真です。

だいたいバスに乗っていたか、おいしいものを食べていたかだったなぁ。

旅の醍醐味です。

そして30日は平成最後の日。

平成から令和に変わる瞬間は、すやすやと眠っていました。

 

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友達がおすすめしてくれたお店でランチ

 

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海と空を存分に眺められるカウンター席がとっても良かった

 

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勝浦タンタンメン(辛さ控えめ)と

 

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勝浦酸辣タンタンメン

はじめて食べたけど、おいしかった~!

おしゃれなお店で、がっつりラーメンをいただくふしぎ。

 

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ガトーショコラとチーズケーキ、どちらも選べなくて半分こした

 

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川になんか居た

 

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トコトコ…

 

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くもり空

 

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山の上にでっかいクレーン

 

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海が少し荒れてた

 

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海と空の境目

 

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海はずっと見ていても飽きない

 

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おとなだけど、こどもの日ケーキを食べる(とっってもおいしかった)

二日連続であまいもの。