なんか良かった

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心の底に押し込めた感情の鍵を外すについて

とっても好きな人ができた。

初めて会ってからもうしばらく経っているけど一緒の時間を過ごしているうちに、少しずつあれ?あれ…?とおもっていたら好きになっていた。

ここは本題ではないのであんまり詳しいことを書くつもりはないけれど、その人を好きになるにあたってひとつだけ大きな問題があったので、この人のことが好きなのか、と気持ちを確定するまでけっこう時間がかった。

一度認めてからは、なんか楽になった。

そして向こうが自分を好きになることは考えにくかったので、この気持ちは内に秘めることにした。

人を好きになってうれしいことや悲しいことで感情が揺さぶられるのもひさしぶりでなんか楽しい。

一方通行でもいつかはなんらかの形で着地はするんだろうから、気の済むまで好きでいればいいや、と思っていた。

何がなんでも手に入れてやるとかガンガンいこうぜみたいな思いは無かったので、わたしはわたしで、そっと好きでいようと思った。

 


だけど、やっぱりなんかつらかった。

やっぱりいいなぁこの人のこと好きだなあって思うたびに泣きそうになった。

理性と感情は別物だからまあそんなもんだろうと思ったし

ここまで割り切れているのになぜつらいんだろうとも思った。

 


その答えは簡単だった。

本当は、全然割り切れていなかった。

 


好きでいたい。好きでいさせて欲しい。好きでいることと結ばれることを願うことを許してほしい。

 


これが自分の本当の思いだった。

 


最初に好きという気持ちを受け入れるにあたって話を聞いてくれた方から、ずいぶん自分を責めていたんだね、と言われた。

言われた本人は、言われてみればそうなのかもしれない…とは思ったけども、実感としてあんまりピンときていなかった。

本当の思いがわかって、ああそういうことだったんだなぁ…と実感した。

 


問題とかどうなりたいとかそれ以前に、自分が好きと感じること自体を許せていなかったのかもしれない。

 


自分のことだけど、この切実な想いを文字にして読み返すと涙が出そうになる。

というかコメダでこれを書いて読み返していたら涙がでてしまった。

こんな気持ちをすっかり無視してしまっていたんだなぁとびっくりしたし、自分に対してとても申し訳なくなった。

ごめんね、そりゃつらいわ。

 


自分を傷つけかねない大きな感情は見ないふりをしたほうがその時は楽かもしれない。

だけど本当の気持ちに蓋をして厳重に鍵をかけて無かったことにしてばかりいると、それらと一緒に喜びやしあわせを感じる心までもが無になってしまうことをわたしは知っている。

これは何度だって言う。

傷つくことはこわいしできれば避けたいけど、わたしは心が無になるほうがもっとこわい。

 


好きな気持ちも、泣きそうな気持ちも、自分を責めていた気持ちも、自分をゆるせなかった気持ちもぜんぶ、そこにあってオッケーだよと言ってあげたいと思った。