なんか良かった

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いやなことと、本当の望みについて

自分の望みがわかりづらい時がある。

最初から「これ!」とわかっていれば、そこに焦点を合わせて進んでいくことができるが、目指す場所がわからないまま周りにも自分にさえも翻弄されて、やっと「あ、自分は本当はこうしたかったのか…」とわかる時もある。

それは決して悪いことではないし、むしろそこから学ぶことがたくさんあるので良い経験でもあると思うが、四六時中それをやっていると、疲れてしまってエネルギーが足りなくなってしまう。

でもだからって、ただやみくもに考えてみても、奥深くにしまい込んでいたり、いろんなものの陰に隠れてしまっている本当の望みは、なかなか出てきてくれないときもある。

 

わたしは、あまり関係の深くない人から、自分のことに関して干渉されたり、煽られたりしてペースを乱されるのがとても苦手だ。

自分で決めて進めていた計画に対して「早く〇〇した方がいいんじゃない?」と横槍を入れられたり、あまり気が乗らないのに「独身同士なんだから一度だけでもデートしてみなさいよ!」と第三者から無理やり誰かとくっつけられそうになったり…、そんなことがあったりすると、本当にエネルギーをすり減らしてしまう。

 

その理由として、「自分のことは自分で決めるわ!」と啖呵をきるようなきっぱりとしたものではなくて、横から言われたことに対して、「え…そうした方がいいのかな…」と不安になったり、揺れてしまうことがいやなのだ。

 

ついこの前もそういうことがあって、ひとしきり揺れて悩んだ末に、やはり自分の感情を優先させたが、とっても疲れてしまった。

その時に改めて、自分のペースを乱されるのは本当に苦手だな、と実感した。

自分のペースを乱すような人や出来事とかなるべく関わりたくない…と強く望んでいたが、そこで初めて気がついた。

 

わたしは自分で決めたことや選択したことに、他人から何をどう言われようが、これで良い!と言い切れるような、自信が欲しいんだな、と。

 

干渉されたくない、といくら願っていても他人は決してコントロールできるものではないので、残念ながらされるときはされてしまう。

だから、それを受け取る自分自身が揺るぎなければ、干渉をなんてことないものに出来てしまうのだ。

わたしのフォーカスすべき本当の望みは、そこにあったのだった。

 

本当の望みに気づいて、いかにしてそこにたどり着くのかどうかはまた次のステップだが、ゴールが見えないまま、また勘違いしたまま走るのと、明確にゴールを目指して走るのでは、成果が全く違ってくると思う。

 

自分の本当の望みは得てしてわかりづらい。

でも、自分の苦手なことだったり、いやなことの陰に、本当の望みが隠れていることがある。

そんなヒントをもらえたので、ここに記してみる。