なんか良かった

日々のなんか良かったポイントを貯めています

休むことを許してあげるについて

昨日の夜から疲れて寝こんでいた。

 

思えば年末あたりから常に誰かと行動し、大掃除にお買い物に、年末年始用料理の下ごしらえ、人を迎えるおもてなしの準備、コンサート観覧、年越し初詣に年明け初詣…と休むことなく動きまわっていた。

でもそのひとつひとつは全て自分から進んでやっていたし楽しんでいたので、あとからこんなに疲れがくるとは思わなかった。

あれ…なんか疲れたな?と思って部屋に引っ込み、ぼんやりとした瞬間、こういったひとりの時間が久しぶりであることにようやく気がついたのだ。

それからは、これまでのアクティブさの反動か、眠いし体はだるいし頭は痛いわで何もする気が起きず、お風呂に入ったあとはそのままベッドに直行してしまった。

 

自分はいつもこんな風に極端だ。

活動的に動いたかと思えば、突然電池が切れたかのように寝てばかりいたりする。

そして例えどんなに自主的で楽しくても、他人や、家族とですらたくさんの時間を一緒に過ごすと、とても疲弊してしまう。

むかしは、家族や好きな人といても疲れるそんな自分はおかしいのかと思っていたが、今はそうじゃないことを知っている。

愛情と、ひとりでいる時間が必要なことは全くの別カテゴリーだし、むしろその時間があるからこそ、もっとまわりに愛情を注ぐことができる相乗効果があることも。

 

そして楽しいイベントであってもたくさん動きまわった分、同じくらいの休息が必要なこと。

でも、大変な仕事のあとの休息はすんなりできても、好きでやっていることをやりその後に休息を入れることに、まだ罪悪感を抱いてしまう自分がいる。

ついおととい、自責は百害あって一利なしな記事を書いたばかりなのに、自分もまだまだ自責に縛られる人のうちのひとりであることを自覚した。

 

人生におけるストレスを感じる出来事をランキング化した「ストレスランキング」を調べてみればわかる。

その48位に「クリスマス、お正月」、49位に「長期休暇」が堂々とランキング入りをしているので、きっと疲れを感じるのは当然だ。

 

自分に鞭打つのはほどほどに…。

そんなことに気がついたお正月だった。