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マイナスをプラス方向へ持っていく際、妨げになるものについて

お正月といえば、箱根駅伝

小さい頃、お正月になると両親が朝からテレビで駅伝を見ているので、子供心には退屈で「え〜これ見るの?」とずっと思っていた。

いや、実を言ってしまえば、去年のお正月まで熱心に見ることもなく、全く縁のないものだった。

今朝もリビングで父が駅伝を見ていた。

朝ごはんを食べならがらなんとなく見ていた駅伝だったが、なんだか今年は気がついたら目が離せなくなり、夢中になっていた。

突然、駅伝の魅力がわかったことに、びっくりした。

 

母が「さっきね、大東文化の子がスタート直後に転んでしまって、足を痛めてしまったんだよ…」と教えてくれた。

しばらくして、テレビでは足の痛みを押して、走り続ける選手が映し出されていた。

あの時もっと違う所を走っていれば、自分がもっと周りを見ていれば、もっとうまく受け身を取れていれば、チームに迷惑を掛けてしまった…、もし自分だったらそんな想いに駆られる場面だろう。

彼の心中を想像して、胸が痛んだ。

そして同時に、この出来事は、彼をより強く成長させる出来事になりうるんだろうな、と思った。

当然、当事者ではないからこそ、すぐにこんな達観できるのだろう。

ただ、今はつらいだろうけど、どうか自分を責めないであげてほしいな、と願った。

 

どんなにネガティブな感情を抱いても良い。

自分が抱いた感情を否定する必要はない。

でも自責だけは、なにも産み出さない。

反省は同じ過ちを繰り返さないための助けになるが、行き過ぎた反省は自責につながり、自責は次に進むための足枷にしかならない。

マイナスをプラス方向へ持っていく際の妨げになるのだ。

 

わたしはメンターとも言える先生からそのことを教わった。

最初は、何があっても自分を責めないというその教えに、本当にそんなことして良いの?とかなり抵抗があったが、努めて自責を手放すようにしたら、自分をすっぽりと覆っていた暗闇が晴れていくような気持ちになった。

この先の可能性を信じられる心がぐんと湧いて、自責を抱えていたころよりもずっと早く未来が拓けていくのを感じている。

 

ただ、長年の癖をいきなり絶やすことは少しハードルが高く、未だに自責が鎌首をもたげることもあるが、自責は自分の首を絞めることになることを常に忘れないでいようと思う。

 

今日は駅伝を見ながらそんなことを考えていた。