書道と癒しについて
月2回の書道教室に通い始めて5ヶ月がたった。
小学生の頃に一年ほど通ったことがあったが、社会人になってから再び、墨と筆で字を書くということをしたくなったのだ。
今年の6月の終わり頃にネットで書道教室を調べて、場所も雰囲気も良さそうなところを見つけ、さっそく仕事終わりの金曜の夜、体験教室におじゃました。
そこはマンションの一室にひっそりとあり、扉を開けると、墨汁のいい香りがした。
半紙の上を滑る筆の音が聞こえてきそうなほど静かな教室に、一人一人の席をまわり、囁くように指導する先生の声が、厳粛な空気をより醸し出していた。
何十年ぶりに向き合った半紙と、ぎこちなく握った筆で、先生が書いてくれたお手本を見ながら、おそるおそる筆を滑らせた。
正直、この教室に足を踏み入れて先生の指示を待つまでの間、このシンと静まり返った空間と、ちょっと独特な雰囲気を待つ先生に、ここに楽しく通えるのだろうか?と気後れをしていた。
だけど時間を追うごとに、不慣れながらも筆を進めることが楽しくなってきて、音量を抑えつつも穏やかに響く先生の声がとても心地よくなり、湧き上がってくる高揚感で、そんな思いはどこかに消えていた。
それどころか、先生の「本レッスンを始めるのであれば連絡をください」との言葉に、その場で「通います!」と二つ返事をしたほどだった。
駅に向かう帰り道では、心地よい充実感に包まれていた。
本当に楽しかった…!と自分の中がふわふわしたあたたかいもので満たされていっぱいになるのは、ひさしぶりだった。
その心地よさをかみしめながらも、このような気持ちを得られたことを、どこか不思議に思っていた。
のちにした友人との会話の中で、それが一種のマインドフルネスであったことに気がついた。
時に意識は過去や未来を行ったり来たりして、今、目の前にない、実態のないもので、頭をたくさん悩ませたりする。
もともと何事も考えすぎる性質もあって、疲れた脳を癒したくて瞑想を試みたこともあったが、頭の中を無にすることは難しく、長くは続かなかった。
今、目の前のことだけを考える、ただ集中する。夢中になる。
確かにわたしにとっての書道という行為は、マインドフルネスそのものであり、予想以上に、私に癒しをもたらしたのだった。