なんか良かった

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完璧じゃなくても動いて良いについて

最近、こうなりたい、こうしたい、という希望を口にして人に伝えることが、以前と比べるとずいぶん増したように思う。

そもそもアウトプットや自己表現、自分の考えを表に出すことがあまり得意ではない。

もうちょっと突き詰めると、考えている途中だったり、はっきりと決まっていないこと、まだ完全にしっくりきていないことなどは、完璧に整った状態になるまで、そのことを内に秘めて語らない傾向にあった。(これは内向型の性質を持つ人の特徴でもあるらしい。)

なので人に伝える時は、ほとんどが事後報告となることが多い。

別にそのこと自体は、良いとか悪いとかジャッジするようなことではないと思う。

だけど、自分の中に、もう少し自分の気持ちを表に出していきたい、という思いがあった。

 

そのことについて最近、少しずつ変化を感じてきている。

例え何も決まっていなかったり、めどがたっていなくても

「こういうことがやりたいんだ、まぁまだなんにも決まってないんだけど!」

と楽しく語る自分がいつの間にか居ることに気づく。

準備が完璧に整ってなくても走り出している自分が居る。

そうした体験を重ねることで、思ったより早く動き出す現実と、走りながらも細かい調整ができることを少しずつ知ったからなのかもしれない。

「完璧」を理想として、どこかそのことに縛られていつも動かずにいた自分も、気づいたらいつの間にか鳴りを潜めていた。

 

何も準備せずに走り出すのは、とても不安で心配が尽きず、恐いことであるかもしれない。

でも、実はいちばん「恐い」のは、行動をしてないかったりできないときに、そのことについて心配をしていたり、不安を膨らませているときが、いちばんつらくて、恐さを感じる時だと思う。

動き出してしまえば、その時起きていることに対処したり、状況を見て現実的な対策を練ることができるので、得体の知れないものと対峙する恐さはあると思うが、じっとして心配してる時の底抜けの恐さよりは、ましなのではないかと思うのだ。