新元号のなんか良かったについて
新元号発表の際に、不思議な感覚におちいったので、記しておこうと思う。
昨日、新元号が発表された。
来月からはもう「平成」ではなくて「令和」になる。
そう改めて考えると、なんか不思議な感じだ。
といっても、自分は普段の生活のなかではほとんど西暦を用いていて、履歴書や役所関係の書類を記入するときに「え、今って(または、あの時って)平成何年だっけ?」と、常に一度立ち止まらねばならぬほどで、あまり馴染みを感じてはいなかった。
むしろ、保管義務のある書類を整理した時なんか、作成日時が和暦で書かれていると、すぐに破棄書類なのか保管書類なのかスムーズに判断できずにかなり混乱したので、もう西暦に統一すればいいのに!!とも思っていた。
それに加えて、「平成最後」という言葉。
最初は「平成最後の夏」など、少し趣のある言葉だったのに、徐々に改元商戦が過熱して、なにかとやたらと騒がれるようになってきてからは、なんの趣も感じられない、なんでもアリの言葉になってしまい、その感動も次第に薄れていった。
そんなこんなもあり、新元号に対しては過度の興味も期待も感じていなかったのだが、発表のあった昨日4/1はちょうど家に居た事もあり、せっかくだから、と11時半くらいからテレビをつけていた。
お茶を飲みながらねこと一緒にベッドに座って、発表された新元号「令和」の文字をぼんやりと眺める。
「ふーん…なんかへんな感じだねぇ〜」
眠そうにまばたきをしているねこに話しかけた。
ここでいう「へん」はおかしいとか変わっているというのではなくて、聞き慣れない、馴染みがない、といった意味に近い。
きっとどんな元号が発表されても、同じことを思ったと思う。
そんなことを思いながら、官房長官がかかげている「令和」という文字をぼんやりと見ていたら、なんだかじわじわと涙がこみ上げてきた。
特に、悲しいとか、嬉しいとか、感動した、とか感情が伴っているわけでもなかった。
ただ単に、涙がこみ上げている、そんな感じだった。
涙が溢れるまでにはいかなかったが、ジーンと不思議な感覚が自分のなかに広がっている。
これは前にも体験したことがあった。
こうなるといいなぁ、という具体的な状況やその時感じているであろう感情などを、今まさに体験しているようにありありと想像する「予祝」という、叶えたい願いを現実に引き寄せるためのイメージングワークがある。
(予祝についての詳しい説明はここでは控えますが、とてもお勧めなのでピンときた方は検索してみてください )
以前、それをやっていた時に、思わず涙がこみ上げてきた時があった。
その事を、すこしふしぎな世界に精通しているセラピストの方に話したら
「その時想像していたことは、本当に心から望んでいる魂の願いともいえることだったので、魂が震えて体がそう反応したのでしょう」
そう教えてくれた。
「令和」の元号を見て、訳もなく涙がこみ上げるということは、令和時代の到来に、わたしの魂が震えているということなのか。
心の奥の奥のほう、その時代の訪れを今か今かとずっと望んでいた魂が、喜んでいる。
そう考えたらげんきんなもので、今まで馴染みがないだとか、その必要性すら疑っていた元号だったのに、途端にすてきなものに思えてくるのだった。
今では来月から新元号に変わることに対して、わくわくした気持ちを持っている。
本来ならば改元は崩御と共にあるもので、当然ながら喜ばしい出来事ではなかった。
今回のように「平成最後!」と騒いだり、新元号を予想したり、新元号の発表を楽しみにしたりと、どんな形であっても、みんな揃って新しい時代の幕開けにわくわくする、という明るいエネルギーがあったこと自体が、今の日本には必要で、とても良いことだったのかなーと、今は思う。