簡単なことなのにすぐ忘れてしまうことについて
あ、そうかと気づいてもすぐ忘れてしまう。
視界に入るものにいっしょうけんめい消えろ消えろ目の前から無くなれと念じても、消えるわけがない。
何かのきっかけでそれが視界から去っていくことの確率は0%ではないけれど、完全にタイミングと運まかせだ。
自分がそれを見続けていれば、当然それはずっと視界にあり続ける。
視界に見たくないものがあるのであれば、自分が回れ右をすれば良い。
なんなら右向け右でも良い。目線を逸らすだけで良い。
自分のことなら100%の確率で動かすことができる。
こうして書いてみると本当に当たり前のことだけど、ふしぎなことにに忘れてしまうのだ。
なんで???
気づいた今はそう思うけど、またこれから先も忘れたりするだろうな。
忘れてしまうのはもう仕方ないから、次からは忘れて思い出すまでの間隔が短くなると良い。
思い出すための一環としてここにも書いておこうと思う。
「1日をなんか良い気分で過ごすための朝の40分」は惜しいか惜しくないかについて
本当にタイトルそのまんまなんですが
「1日をなんか良い気分で過ごすための朝の40分」は惜しいか惜しくないかについて。
ずっと美容院に行けなかったので髪の毛がもっさりしている。
それに加えてもう暑い季節なので毎日ひとつに結んでいるけど、ヘアアレンジも得意ではないのでやっぱりもっさりもっさりしていてテンションが下がる。
ある日ふと思い立ってアイロンで髪を巻いてみた。
世界一簡単であることを謳ったヘアアレンジの本を見ながら苦戦すること40分。
右と左でバランスがおかしいことになっているけど、ムースでくしゃくしゃっとセットしてしまえばとりあえずなんか良い感じ(と思うことにした)。
これを毎日やっている女の子たちすごすぎない?
まじで尊敬するし、見知らぬ女の子たちの努力がとてもいとしくなった。
その日は雨が降っていて午後には湿気で巻いた髪もほぼ伸びきってしまっていたけど「今日のわたしは髪を巻いたんだぜ」という謎の高揚感があった。
朝の40分を消費するのは惜しい気がしてたけど、こんなに1日を良い気分で過ごせるなら美容院に行けるようになるまで毎日巻き巻きしようかな。
幸い今は時差出勤で朝の時間にとっても余裕があるし。
だけど次の日にはそんなことはもう忘れて、40分かけて髪を巻くならその時間でどうぶつの森がやりたかった。
きっと、ここで「どうぶつの森をやりたい」という気持ちを押し殺してまでして髪を巻くのもなんか違うんだろうな。
「髪を巻いてみようかな」と自然に思えるときがいちばんだ。
それから2、3回ほど朝髪を巻いた。
何度かやっていたら出来はともかく30分くらいでできるようになった。
やっぱりなんとなく気分が良い。
結局、なにをするか ではなくて なにがしたいか。
自分がそれをしたいと思っていなければ朝の40分をそれに費やすのは惜しい。
自分がしたいと思っているならその40分はまったく惜しくない。
これだと思った。
今わたしが書きたいことってなんだろうについて
今わたしが書きたいことってなんだろう。
ブログを書いていない間、少しだけどとあるSNSに投稿していた。
一生やらないだろうなって思っていたSNSだけど、受講した講座の課題に取り組むにあたり必要になって登録した。
インターネットに自分の文章を載せるときは、読み手を意識したものではなくひとりごとみたいな形・姿勢が自分には合っていると思っている。
そのSNSでもそれを変えるつもりはなかったけれど、顔も名前もわかる読み手さんたち、誰がどのように反応したかなどのダイレクトな情報に、今思えばペースを乱していたかもしれない。
いくら反応を気にしないつもりでいても、あったらあったでやっぱりうれしいし、頻繁になるともっと欲しいなって思っちゃうよな。
SNSって情報の滝みたいだと思った。
タイムラインにこれでもか!ってくらい次々といろんな人の生活や思い、言葉なんかが上から下にどんどん流れていって、なんかすごい。
そのSNSで数々の情報に打たれ続けることはなんだか滝行とか、修行みたいなイメージが湧いてきた。
この激しい勢いに翻弄されずにいるには強い心と体の軸が必要だ。
情報の奔流をすいすい楽しそうに泳いでる人もいるし、ほとりに座って滝を眺めながら自分の世界を保つ人もいれば、激しい流れにのまれて溺れてしまう人もいるんだろうなあ…。
激しいけどきらきらと眩しいそんな滝の中を泳ぐのも眺めるのも楽しかったけど、泳ぐペースがつかめない今、いつしか水を掻く手足が疲れて溺れてしまうかもしれない。
そうなる前に、SNSとの距離を自然ととるようになっていた。
それからは文章らしい文章をほとんど書いていなくて、たまにアウトプットしたい欲に駆られたけれど自分がなにを書きたいのかさっぱりわからなかった。
なんか良かったこと、気がついて良かったことなどは変わらずに今もたくさんある。
だけどなんとなく前と同じように書く気持ちにはなれないでいる。
なんでだろう?
たまにはてなブログのアプリを開いてはじっと眺めてそっと閉じる…を何度か繰り返した。
前にこのブログでも書きたいことが変わったように、今は書きたいことが変わっている最中なのかもしれないなあ。
まだなんにも言葉にも文にもならない。
わたしには、なにからなにまで「言語化して完了」というところがある。
そのことにこの前気づかせてもらった。
確かにわたしの中には「なにか」があるのにそれを言い表せないのはなんとももどかしい。
もやもやする。
だけど、人生においてひとつの段落が締めに向かっているんだと思うと、自分でつけたこのブログのタイトルみたいに「なんか良かった」って思えるかもしれないな。
自分が今まで変わってきたことをつい忘れてしまうについて
今日ふと思ったこと。
最近は「しっかりしてるね〜✨」「しっかり者だね!」とか「〇〇さんはおしとやかだもんね」とか言われなくなったなぁ、と。
別に、だらしなくなったからとか、がさつなのがバレたからとかではない(と思う)。
確かに、そう言われるからにはそういう要素を少なからず持っているのかもしれない。
だけど、わたしを表すには的確ではないと自分では思っていた。
それなのになぜ今までそう言われてきたのか。
それは「しっかりしなきゃ!」「清廉潔白でないといけない!」と思って生きてたから。
このブログで書いているようなことを含めていろんなことがあって、一昨年くらいからそれをやめた。
それから今になって、そのことすら少し忘れていたことに気がついた。
最近言われた
「〇〇さんって、意外とアクティブだよね」
「意外とちょっと雑なところあるよね😁」
「なんかおっさんくさいとこあるなー!」
に、つい喜んでしまいました。
もちろん全部親しみを込めて言ってくださった言葉です。
…そうだと勝手に思ってます。笑
肩の力が少し抜けて、本来の自分に近い姿を見せることができているんだなあと思うと、とてもうれしい。
うまくいかない時はどうしても自分の変わらなさ加減にがっかりしてしまう。
そして今までちゃんと変われてきたことを忘れてしまう。
今の自分がもう「当たり前」になっているから。
今まで変わりたいと思って変わってきた自分、すごいね!😊👏
時にはいくつものストレッチゾーンをコンフォートゾーンにしてきた自分を思い出して褒めてあげたいなあと思いました。
ひさしぶりのなんか良かった一期一会について
ホテルの朝食に出てくるようなオムレツを作る練習をしています。
混ぜ方が甘かったり火が強すぎたりと、なかなかうまくいかない…。
難しいなぁ…と意気消沈した帰り道。
ふと空を見上げたら、三日月よりちょっとふっくらしたお月様が、まるでオムレツのようで。
思わぬシンクロニシティになんだか元気をもらいました😊
与えるものが受けとるものについて
やめたやめた!
理解してもらえない😢
と嘆くことに時間を使うこと。
理解してもらうために、いつまでもあーだこーだと説明や訴えに力を尽くすこと。
そして理解されなかったさみしさ悲しみを怒りに変えること。
自分が相手にいちばんして欲しかったことは?
『わたしの気持ちを理解しようとする姿勢、そしてそのこころに寄り添ってくれること』
この世の理は?
『与えるものが受けとるもの』
それならば、わたしは
「わたしの気持ちを理解しようとしない、理解できない今のあなた」
を理解します。
受けとめます。
そのこころに寄り添います。
そして
「理解してほしかった、理解されなくて悲しかった」
そんなわたしのこころにも寄り添います。
昨晩、ひさしぶりに自分の気持ちをわかってもらえない
とってもさみしくて孤独な気持ちを味わいました。
きっとこのことを学ぶために起こったんだなーと、今朝はそう思えるようになりました。
簡単なことではないけど。
まだこころから思えてなくても
まずは決意表明みたいなかんじで
書いてみました。
まずは形からだって◎
反応を過剰に気にすることからの一歩脱却について
こんなこと知られたら恥ずかしいな、とか
これ言ったらどう思われるのかな、とか
今のどんなふうに受け止められたのかな、とか
この受け答えは果たして正解だったのだろうか…とか
いちいちいちいち考えていた。
なんなら今も考えている。
相手が思ったような反応をしなかったときや
なんか間があったとか
ちょっとした違和感があったときなんか特に。
トラブルや行き違いがあったとき以外でも
そんなことを考えていたので、とっても疲れる。
本当に疲れてしまう。
そのせいで、必要以上にコミュニケーションを避けてしまったこともあったと思う。
だけど最近は、ちょっとずつだけど
相手がどう思うとか、どう受け止めたとか
どんなに考えたって悩んだって
わたしにはどうすることもできない領域だ。
他人のことは絶対にコントロールできない。
そんなふうに思えるようになってきたと思う。
だから、わたしの言葉をどう思って
どんなふうに受けとるかはお任せします。
どうしても気になるようなら素直に
「今のどう思った?」
って聴いていこうと思う。