なんか良かった

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今わたしが書きたいことってなんだろうについて

今わたしが書きたいことってなんだろう。

 

ブログを書いていない間、少しだけどとあるSNSに投稿していた。

一生やらないだろうなって思っていたSNSだけど、受講した講座の課題に取り組むにあたり必要になって登録した。

インターネットに自分の文章を載せるときは、読み手を意識したものではなくひとりごとみたいな形・姿勢が自分には合っていると思っている。

そのSNSでもそれを変えるつもりはなかったけれど、顔も名前もわかる読み手さんたち、誰がどのように反応したかなどのダイレクトな情報に、今思えばペースを乱していたかもしれない。

いくら反応を気にしないつもりでいても、あったらあったでやっぱりうれしいし、頻繁になるともっと欲しいなって思っちゃうよな。

 

SNSって情報の滝みたいだと思った。

タイムラインにこれでもか!ってくらい次々といろんな人の生活や思い、言葉なんかが上から下にどんどん流れていって、なんかすごい。

そのSNSで数々の情報に打たれ続けることはなんだか滝行とか、修行みたいなイメージが湧いてきた。

この激しい勢いに翻弄されずにいるには強い心と体の軸が必要だ。

情報の奔流をすいすい楽しそうに泳いでる人もいるし、ほとりに座って滝を眺めながら自分の世界を保つ人もいれば、激しい流れにのまれて溺れてしまう人もいるんだろうなあ…。

激しいけどきらきらと眩しいそんな滝の中を泳ぐのも眺めるのも楽しかったけど、泳ぐペースがつかめない今、いつしか水を掻く手足が疲れて溺れてしまうかもしれない。

そうなる前に、SNSとの距離を自然ととるようになっていた。

 

それからは文章らしい文章をほとんど書いていなくて、たまにアウトプットしたい欲に駆られたけれど自分がなにを書きたいのかさっぱりわからなかった。

なんか良かったこと、気がついて良かったことなどは変わらずに今もたくさんある。

だけどなんとなく前と同じように書く気持ちにはなれないでいる。

なんでだろう?

たまにはてなブログのアプリを開いてはじっと眺めてそっと閉じる…を何度か繰り返した。

前にこのブログでも書きたいことが変わったように、今は書きたいことが変わっている最中なのかもしれないなあ。

まだなんにも言葉にも文にもならない。

わたしには、なにからなにまで「言語化して完了」というところがある。

そのことにこの前気づかせてもらった。

 

確かにわたしの中には「なにか」があるのにそれを言い表せないのはなんとももどかしい。

もやもやする。

だけど、人生においてひとつの段落が締めに向かっているんだと思うと、自分でつけたこのブログのタイトルみたいに「なんか良かった」って思えるかもしれないな。