知って得した価値観の違いについて
価値観の違いというものを、実感として知った出来事があった。
人それぞれに価値観の違いがある、ということは当然理解していたが、あ、こういうことなのか、と身をもって知ったのだ。
ある出来事やものがやたらと自分の視界に飛び込んでくるようになる時がある。
例えば、わたしは一時期千葉にある香取市佐原の情報が次々と入ってきて、幼馴染の旦那さんがそこで仕事をしたり、テレビをつけたら香取神社が取り上げられていたり、また別の番組で佐原のおいしい焼き鳥やさんが紹介されていたり。
そんな偶然ともシンクロニシティともいえる現象を、わたしは「縁があるんだな」と大事にしたり、楽しんだりしているのだが、ある時、それを知人に話したところ「まあ流行っているからね(そりゃ見る機会は多くなるよ)」と流されてしまったのだ。
最初は、自分の大事にしている感覚をないがしろにされてしまったようで、なんだか軽くショックだった。
でも、その考え方は間違えだったことを知る。
年末ジャンボ宝くじの当選番号が決定したニュースをぼんやりと見ていた時、傍で父と母が「宝くじの当選しやすい売り場」について話をしていた。
そこでわたしは有楽町の宝くじ売り場のことを思い出す。
「よく当たる宝くじ売り場」として、たくさんの人が行列を作っているのを何度も見たことがあるのだ。
その傍を(単に買う人が多いから当たる確率も高いだけだよなあ…)と思いながら通り過ぎていたのだが…。
よく当たるという験担ぎを大事にする人々。
その験担ぎを、単に確率として見ている自分。
よく目にするものとは縁があるという感覚を大事にする自分。
その現象を、単に確率として見ている知人。
あれ?これっておんなじじゃないか?
自分は特に宝くじ売り場の験担ぎをする人々の感覚を、単に重視していなかっただけで、ないがしろにしようと思っていた訳ではない。
それじゃあ知人もわたしの持つ感覚を重視していないだけで、その真意を知らず傷つくのは、被害妄想なのかも知れない。
これが「価値観の違い」ってやつなのか!
その意味が実感を持って、突然ストンと降りてきた。
そうしたら、今までも勝手に傷ついていたことがあったかも知れないな。いや、絶対ある。
新たな言葉の受け取り方を知って、なんだかとても得した気分になったのだった。