なんか良かった

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もやもや晴らしの方法について

自分は受け取ったものに対しての瞬発力が高くないような気がする。

よくあるのが、その場では対して気に留めなていない一言や出来事に対して、後から一人になって「…あれってどうゆう意味だろう?」ともやもやすることがある。

 

あれって嫌味や皮肉だったんじゃ?

なんだか失礼なことをされなかったか?

良くないときは、そんな風にあとからじわじわと怒りがわいてくる。

ああ、こうやって言い返してやればよかった!と。

 

もちろん相手が家族や友達、恋人であれば、この先良い関係を続けていくために「この前のあれってどういう意味だったの?」ともやもやを解決する行動ができる。

そして単なる自分の勘違いだったり、時にはぶつかって仲直りしたりで、なんやかんや丸く収めることができる。

 

ただ、始末が悪いのは、相手がその場限りの間柄であったり、知人・友人未満の関係であるときだ。

二度と会わないのであればどうにもできないし、まだ深い話をする関係ではない時は、ひとまず流すしかなくて、もやもやだけが心に残る。

真意を尋ねられないとなると、これが結構な爪痕を残すこととなり、その言葉や出来事を反芻しては心の中で反撃をしつつどうにもならない現状に地団太を踏んだりと、悪いほうへ心が捕らわれてしまう、かなりのやっかいものとなるのだ。

 

あるとき、とある飲食店で「そんなぁ」と思ってしまう出来事があった。

食事をしている最中は、なんだかなぁ…といった印象だったが、お店を出て歩いているうちにもやもやが増してきて、やっぱりあとから「なんか一言でも言えばよかった!」と家に帰ってからもおさまりがつかなかった。

 

が、その時は、ふと、我に返る瞬間が訪れた。

 

唯一の救いとしてお食事はおいしかったが、あそこのお店にはもう二度と行かないだろう。

だからと言って、一言でも皮肉やとげのある言葉をわたしが投げかけたとしたら、もっとそれ以上に嫌な思いをする可能性はなかっただろうか。

今のもやもやが、それ以上の憤慨になってしまうこともあったのではないか。

 

それをほんの少しだけ想像をして、代わりに心に浮かんだとある言葉を呟いてみた。

 

「私は最善の選択をした」

「私は”おいしかった”という事実だけを受け取ります」

 

するとうそみたいな話だが、ふわーっともやもやが晴れたのだ。

 

なんだか痛いの痛いの飛んでいけ~のおまじないのようでおもしろかったので、今度どうしようもないもやもやを抱え込んでしまったときは、また試してみようと思う。