なんか良かった

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自分の声を聴いてみるについて

力強く動けない。

頭では、何かやらなきゃ動かなきゃ、と思っているけれど、結局何もしていないまま時間が過ぎている。

きっとそれは不安や恐れのせい。

そんなものは動いてしまえばなんとかなるものだ。

何もしないで不安や恐れを感じている時が、いちばん不安で恐いものだから。

動いてしまえば現実も動いて、具体的な事象に対応することに悩むほうが、つらくない。

 

でも、そこまでわかっていてもなお、動けない。

具体的な踏み出す先がわかっているのに、動けない。

相変わらず頭の中から「何かやらなきゃ動かなきゃ」と急かす声を聞きながら何も動けないでいるのは、とてもつらい。

 

なんでこんな動けないんだろう?

 

しばらくそんなことを繰り返していて、ぼんやりと電車に乗っていた時、ふと思いついたことがあった。

 

もしかして、自分の心が今動くことを望んでいない可能性はないだろうか。

この前、「どうして動けないの?」と聞かれたとき、「不安とか恐れがあるから…」と咄嗟に答えた。

確かに不安や恐れがないわけではない。

だけど、では具体的にどんな?と考えてみると、思いつく理由はあっても、どこかなんとなくしっくりこないような気もしてきた。

 

改めて自分に問うてみる。

「今、実はあんまり動きたくないですか?」

 

すると、返ってきた答えは

 

「疲れた…」

 

だった。

 

自分で聞いて、自分で答えておきながら、その内容に、少しびっくりする。

なんでこんなに動けないか?

その答えは単純明快で、本当に「動けないから」だった。

 

以前に比べて、自分が不安や恐れを感じることに寛容になれた気がしている。

そしてその対応方法として、行動する、ということも、断然出来るようになったと思っている。

だけど、その行動するパワーの源となるエネルギーか低下することに関しては、まだ寛容になれていない自分に気がついた。

自分の中にカメラやスマホのようにバッテリーがあるとして、それがローバッテリー状態になること、すなわち元気がない状態になっていることに、とても鈍感だし、あまり認めたくないと感じていることも。

 

花粉症のような症状が出ていても、認めてしまうと症状が悪化してしまうような気がするので、自分はまだ花粉症だと認めないよ、というのと、少し似ているかもしれない。

 

その理由はなんとなくわかる。

不安や恐れへの対処はなんとなくわかり始めているが、エネルギー低下の場合、どうすれば自分のバッテリーが充電されて、フル充電状態になるのかが、まだよくわかっていないのだ。

だからなのか、現時点でも「元気がないから動けない」という可能性に対して

「本当に?それって単に不安や恐れで動けないのを正当化してるだけじゃないの?そんなことを言ってるとチャンスをみすみす逃すかもよ?」

と追い立てるような自分の声も未だに聴こえている。

 

正直言って、どちらが本当なのか、今のわたしにはまだよくわからない。

だけど、もし、本当に疲れていて、行動することに心が追いついていないのであれば、そんな心を叱咤して無理やり行動するのは、自分にとっても、得られる結果も、あまり良いものだとは思えない気がする。

 

どうすれば自分のバッテリーが充電されて、フル充電状態になるのか。

もし、これがわかれば、疲れている自分を否定することなく優しくできるようになるし、必要な時にベストコンディションでいられるようになる、ということだ。

それって、とてもすごいことだと思う。

ぜひ習得したい技である。

 

とりあえずは今聴こえている「不安だし恐い」や「疲れた」などの両方の言い分を否定せずに受け取って、その他いろいろな自分の声もよ〜く聴きながら、試行錯誤していこう、と思っている。