なんか良かった

日々のなんか良かったポイントを貯めています

いろんなハードルを下げることについて

ああ、今日もなんにもしてないな。

最近考えるのは、こんなことばっかりである。

とにかく気力がわかなくて、体もどこか疲れていて、なにか行動を起こす気にもなれない。

頭の中では「あれをやらなきゃ」「これもやらなきゃ」「なにかやらなきゃ」と騒がしいのに、どうも体がついてこなくて、部屋でぼんやりとなんとなく時間が過ぎて、学校に行って、1日が終わる。

 

今は心(または思考)と体が逆を向いていること、

そして呪文のように繰り返す「やらなきゃ」はその言葉のとおり義務感から来ているので一種の焦りであり果たして本当に心が望むものなのか疑問であること、

そのあたりは、話を聴いて思考の整理を手伝ってくれた親友や、試行錯誤を得て、幸い自覚できて、休むことも必要なのかもしれない、という考えに至ることが出来たのだか。

 

それでも体の欲求に従ってじっとしていても、頭の中では今日もなにもしなかったおばけが騒ぎ立てるのだ。

これじゃあちっとも休まらないなぁ…と思いながらも、しばらくそんなことを繰り返していた。

 

今日も少し疲れた気持ちで学校に行って授業を受けていると、突然

「なにか新しいことをしたいなぁ…」

という思いが浮かんできて、

「明日こそはなにかできるといいなぁ…」

とぼんやりと考えていた。

帰宅しながら先ほど浮かんだ思いについて、

「でも新しいことってなんだ?なにができるだろう?今こんなに気力がないのに、逆に疲れるだけでは…」

なんて思考を巡らせていたが、ハッと気づいたことがたくさんあった。

 

ひとつは、突然浮かんできた「なにか新しいことをしたい」は、このところ追い立てられていた「やらなきゃ」の義務感からではなく、久しぶりの心が望む欲求であること。

だったら、ぜひとも叶えてあげたいところだ。

 

ふたつめは、その「新しいこと」は決して大きな出来事でなくても良いこと。

なぜか「新しいことをする」というと、何か習い事を始めたり、新たなコミュニティに参加したりなど、大きな変化を思い描いてしまうが、先述の通り、元気のない今はかえってストレスになるだろう。

だったら、ほんの小さな新しいことをたくさんするほうが、今の状態に合っていると思う。

いつもは通らない道を歩いたり、食べたことのないメニューを選んだり、したことのない髪型をしたり、そんなことだって立派な「新しいこと」である。

 

みっつめは、しつこく去来する「今日もなんにもしてない」は、間違えであること。

「なにかする」も、決して特別なことでなければならない訳ではない。

ごはんの用意して片付けもしているし、洗濯だってしている。

ねこのトイレ掃除もしているし、植木鉢に水もあげてるし、そもそも毎日ちゃんと支度して電車に乗って学校行って勉強している。

毎日日記も書いてるし、なんなら今日はこうしてブログまで書いてるのだ。

全然、なんにもしていないことはないじゃないか!

それなのに「今日もなんにもしてない」と責めるのは理不尽であるし、ましてや疲れて元気のない人にかけ続ける言葉ではない。

 

これで、新しいことへのハードルがぐっと下がったし、なにかしなきゃおばけの撃退法がわかった気がする。

これまで理不尽に自分をいじめていた分、褒めのハードルもぐっと下げて、存分に甘やかしてみようと思う。

みんな、毎日生活しているだけでも、じゅうぶんに立派なのだ。