今ほしい自由はどんなもの?について
最近の、自分のトレンドワードが「自由」である。
今日の日記を書くために1日を振り返っていると、そういやここのところ会話の中や頭の中によく浮かんでくるワードだなーと、気がついた。
あの人、本当に自由だよね〜。
自由で楽しそう。
どうしてこんなに自由に描けるんだろ?
ああ、わたしも自由になりたい。
そんなことに気づいたら、次に、疑問が湧いてきた。
では、何から抜け出して自由になりたいんだろう?
そして、わたしの望む自由って具体的にどんなものだろう??
最近、悩んでいることからだろうか。
居心地の良くない思いをしているあの場所からだろうか。
思い当たる節はいくつかあったが、なんだか特定するのにアレコレ頭で考えたくはなかった。
疲れるのでそういうのはもうたくさんだ。
なので最近よくやる方法、自分に問いかけてみて、自然に答えが浮かんでくるまで待ってみる、をやってみることにした。
一体、何から抜け出したくて何から自由になりたくて、どんな状態を望む自由と呼ぶんでしょーか!?
クイズ番組の司会のように、投げかけてみる。
すぐに応えが浮かんでくることなんて期待していなかったが、てくてく歩いていると、意外にもすぐに応答があった。
「自分を否定する自分から」
自分でも意外な回答だった。
一瞬、んっ?と思いながらも、なるほどー、となんだかすごく納得した。
この問いかけ方法はなんだかおもしろい。
単なる思いつきと、面白半分、そして半信半疑でやってみたが、本当にまともな答えが返ってくるとはあまり思っていなかった。
問いかけると、ある時本当にふわ、と浮かんできて、その浮かんでくる答えは結構意外で、でもふしぎと納得できる内容なのだ。
前回の記事でも触れたが、ここのところ、思っていたより自己否定に囚われていたらしい。
何をするにも賛否の目を光らせていて、する事なす事に対して本当にこれで良いのか、と考えることがとても多かった。
そして知らず知らず自分にダメ出しをし続けていたので、とうとういやになってきたのだろう。
まるで、四六時中上司に見張られて、何かするたびに難しい顔をされたり、苦言を呈されたりしながら仕事をするようなものだろう。
そんな環境はひと時だって気が休まらないし、ストレスは溜まるし、人ものびのび育たないし、それをされて多くの良いことがあるとはあまり思えない。
自分の心が望んだことに対して「いーんじゃない?」と頷いて、うまくいかなかったとしても「まーそんなこともあるよ」と肩をたたく。
付かず離れず、程よい距離感で自分を見守ってゆけることが、理想的な、今ほしいわたしの自由なのかもしれない。
そんなことをふと、思った。