最も安心な居場所について
すごいひとりぼっちだ、と思うときがある。
大抵それは何か嫌なことがあったり、心細い気持ちでいたりして、でもその気持ちを共有できそうなあてがないときに思うことが多い気がする。
実際は家族だっているし、少しだけど友達だっているから、全然ひとりではない。
自分が勝手に塞ぎ込んでいるから余計にそう感じるのかもしれない。
最近読んだ本の中に、居場所とは自分の外側にではなく、自分の中に作るものだ、と書いてあった。
言われてみれば確かに、わたしは居場所や肯定感とかを外側に求めている傾向がある。
自分の理解やコントロールが及ばない範囲にそれらを設定するから、だから不安定になる。
本来自分の居場所である自分のところで孤独感を感じるということは、自分すらも自分の味方をしていないということなのかもしれない、とふと思った。
隠れた自己否定。
だから自分の外側に自己肯定を求めて、運の良いときはその欲求を満たしてもらい、そうでないときは叶わずに孤独感を強める。
でも自分の中にきちんと居場所があって、肯定感もあれば、例え本当にひとりぼっちだとしても、それは単純な孤独感に繋がらないものなのかもしれない。
なんだか文章がまとまらない。
この思考に至った際は、かなり「!!」と思ったのだが、まだ完全に自分のものにできていないのかもしれない。