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自信の正体について

最近は、いまいちわからなかったこと、実感ができなかったことが、ふとした瞬間に「あれ、こういうことなのか」と突然、腑に落ちることが多い気がする。

昨日は、さあ寝よう眠い眠いとお布団に潜り込んでいる瞬間に「自信って、つけたり得たりするものではなくて、もともとは持っているもので、信じる対象として、自分か自分以外のものを選択することによって、もたらされたり見失ったりするものなのかもしれない」ということが頭に浮かんだ。

 

わたしはずっと自信がなかった。

今でもあるか?と問われると、少しあやしい。

でも、大分マシにはなったと思う。

ここでいう自信は、自分は自分で良いという、自己肯定感の意味合いも強い。

もともと、こう!!という強い芯のようなものが自分にあるのは、自他共に認める。

単に頑固だということでもあるのだが、たぶん、それがわたしの自信なのだと思う。

だけど、それを肯定して貫くことがずっとできなかった。

まわりと比べてそれと異なることに不安になったり、「普通」という実は正体のない妄想に縛られていたり。

そして自分以外の人や環境に、自分自身や自分の持っている能力やさまざまなものを否定されたり、通用しなかった出来事は心に強く残る。

そうすると、やっぱりこのままではだめなんだ。この自分ではだめなんだ。と、常に自信は見失われていく。

言い換えれば、自分自身ではなく、自分以外の人や環境などを信じる対象として選び続けていた。

もちろん、自分以外の人や環境からのフィードバックはとても大事だし、自信を失うできごとは、実は自分自身の成長の糧やチャンスにもなってきたと思う。

でも今までの自分は、いつ、いかなるときも、評価や判断基準を自分自身ではないものばかりに委ねすぎていた気がする。

自分自身の唯一の絶対的な味方になり得る自分が、ずーっと敵に回っている状態。

まるで世界中に見放されたような気がしてとてもつらい。

そんな呪いを解きたい一心でいろんなことをやってみても、マイナスがゼロになるだけでプラスには振り切れず、ちょっとした出来事でまた簡単にマイナスに逆戻りしてしまったりする。

まさに、こんなに努力しているのにいつまでたっても自信がない…状態で、自信を見失っていることも、自分以外からの肯定を得ることに依存しすぎていることにも気がつかなかった。

だけど蓋を開けてみれば、自分以外の要素ばかりを信じていたので、当然、イコール自分のことは信じていなかった、ということになる。

自信が欲しい(自分を信じたい)ともがきながら、全く別のものを信じて欲していたのでは、そもそもが見当違いで、そのやり方では欲しいものが手に入る訳がないのだった。

 

そういうことだったんだなぁ、と俯瞰して考えられるようになったのは、きっと少しでも自信を思い出すことができたからなのかもしれない。