自分にフォーカスする必要性について
最近起こることや、それらから得た気づきや学びなど、その全てから共通して感じるメッセージは、今の自分は「自分にフォーカスすること」が必要な段階にいることだった。
今までは、「これからどんな夢や願いを、どうやって叶えていくか」など、手段やたどり着く先のことにフォーカスして考えていたように思う。
今考えると、まだ望むことの全体像がぼんやりしている自分には、この段階に臨むのはまだ早く、不安や恐れがあるあまりに、早く早く、と事を焦って進めることばかりに注視していたかもしれない。
それは花の種まきに例えられる。
名前の伏せられた花の種をまいて、これはなんていう品種の花だろう?
どう育ててれば、ちゃんときれいな花が咲くのだろう?
どのくらいの水分量や、どんな肥料が最も効果的なのだろうか?
一日でも早く、この花が咲くところが見たい!
という視点での取り組みだ。
少しでもヒントになりそうな、手持ちのカードになりそうなものを、いろいろと手繰り寄せていく。
いろんな経験やツールを得ていくその過程で、先へ先へと駒を進めようと逸る自分を、優しくなだめるようにやたらと浮かび上がってきたメッセージがある。
それは、今の自分の状態を問いかけるものばかりだった。
自分が本当に望んでいることに気がつき、それを心から信頼できるかどうか。
その望んでいるものを素直に受け取る覚悟ができているかどうか。
目を向けるのは、まだ姿の見えない未来や夢、願いではなく、今ここにある自分であること。
そして今ここにある自分を肯定し、愛することができているだろうか。
先ほどの花の種まきに例えると、
この芽は昨日に比べて、どのくらい伸びたのだろう?
栄養を与えたらこんなに葉っぱが茂った。
日向に置いたらこんなにすくすくと育った。
どんな花が咲くのが楽しみだ!
…といったように、その成長を日々確認して喜び、わくわくと観察日記をつけるような視点が、今自分に必要なことなのではないかと、思ったのだった。
とりあえずなんでもやってみる、という行動指針は、以前と変わらずだ。
それでも「いかに早く花を咲かせるか!」と逸りながら取り組むのと、「こんなに育ったのかぁ」と成長を楽しみにゆったりと取り組むのでは、きっと何もかもが違うし、今のわたしの心は、断然後者のような生き方を望んでいる。
花を咲かせること、夢や願いを叶えることはいちばんの望みだけれど、今は、それを実現させるため、自分の土台作りをする。
自分の好きや心地よさをひとつひとつ見つけていって、自分との信頼関係を築いていく。
なんとなく、これからの方向性が定まったような、そんな気がしている。