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自然体でいることについて

以前は、自分が何かに対する反応を示す際に、自分がどう思うか、どう考えているかではなく、「相手にとっての正解」「この場においての正解」を探る癖があったことに気がついた。

これが顧客や取引相手とのビジネスシーンであれば、探る意味も大いにあるし役にも立ちそうだが、全くのプライベートでもこれをやっていたのだ。

このことを話すと、たいていの人が「それって、疲れない?」との感想を抱くようだが、本当に尤もな意見だと思う。

その問いに対する答えは、もちろん、本心からの「うん、疲れる」である。

 

そもそも「正解」を探って導き出したつもりでいるが、それが本当に相手が望んでいた反応であったかは、実際のところわからない。

相手の反応が答え合わせになる場合もあるかもしれないが、その反応がどんな感情から発露したものかも、正確に読み取れているとは思えないだろう。

 

そんな風に人付き合いをするものだから、特別距離を縮めて深く付き合うことが出来なかったり、異なる考えの人に同志だと勘違いされたり、承認欲求を満たしてくれる人だと依存されたりして、望まぬ人間関係を引き寄せることもあったり。

少人数限定で、自分から好きだと思った相手に心を開くことはあったが、当然、それ以外の人付き合いを広げていくことを、良いものだとは到底思えなかった。

 

そんな不明確で効率の悪いコミュニケーションに頼っていたのも、自分を大切にできなかったことの弊害と、自信のなさの表れだったと思っている。

 

自分が思ったり感じたりすることを、素直に表現することへの恐れ。

自分の意見は尊重されるほど立派なものではない、という卑下。

みんなが同じ方向を向いていないといけない、という根拠のない思い込み。

全員に好かれたい、逆に言えば誰にも嫌われたくない、という無駄なプライド。

 

よく行くアパレルショップに、いつもニコニコと感謝を述べながら対応してくださるスタッフさんがいるのだが、申し訳ないことに、どうもその努めてひねり出したようなニコニコと「ありがとうございます」の、その不自然さがとても居心地が悪く、なんだか疲れてしまう思いをすることがあった。

きっと、一生懸命正解を探ってニコニコしていた私も、相手にこんな感覚を味あわせていたのではないだろうか。

 

これらのことに気がついたのは、自分を大切にすることを覚え、その方法を実感し、ようやく実践できるようになってきたその頃、ご縁をいただき出会った方との会話の中でだった。

その方は、「あなたがあなたでいること 私が私でいること」をコンセプトとし、カラーセラピスト養成講座や傾聴講師としてご活躍されている、とてもあたたかくて素敵な方。

改めて考えてみれば、その方と居た時の自分にはあまり無理がないことに気がついた。
近年、自分で気になっていた「その場の正解を探っている自分」が全く居なかった。
それも、その方が自然体でご自分を肯定し、本当に大切にしているから、自然とわたしも自然体でいられたのだと思う。

それはとても心地よく、心にふんわりとあたたかい感覚が残るような、経験だった。

自分が自分である事は、自分にも相手にとっても、本当に良いことばかりなんだな、と実感したのだった。

 

自分が思ったり感じたりすることを、素直に表現しても大丈夫なこと。

自分の意見も、相手の意見も、どれもが尊重されるほど立派なものであるということ。

たとえ同じ方向を向いていなくても、それはお互いを思う気持ちとは全く関係ないこと。

自分が好きで、この人たちが好きだというプライドをもつこと。

 

自分の在り方が本来の自分へと近づくと、こんなにもいろんなことが変わってゆく。

急にはできなくても、少しずつ、自然体でいることを大切にしていきたいと思っている。

 

 

あなたがあなたでいること 私が私でいること

文中で紹介させていただいた、カラーセラピスト養成講座や傾聴講師としてご活躍されている、村尾リエさんのホームページです(^^)/

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