ブログを書き始めて1年経って思うことについて
今年は地元の花火大会を会場まで見に行った。
最初は、花火を見に行こうと母と妹と3人で約束したは良いものの、昼間の暑さがこたえてどっと疲れていた我らは、お寿司を食べたら帰ろうか…と消極的だった。
だけどお腹が満たされるうちに元気になってきて、打ち上げられる花火の音を聞いていたら居ても立っても居られなくなって、家には帰らずに会場の方まで少し歩こうか、となった。
花火がよく見える歩道橋で少し立ち止まって見ていたが、打ち上がる花火と爆音に誘われるように、結局は会場まで辿り着いていた。
幸い、その日は熱帯夜ではなく、風も少しあって心地よい。
ただ、無心に、打ち上がる色とりどりの花火を眺めて、大きな音の振動を感じているのは、とても心地よかった。
花火大会を堪能し、祭りのあとの寂しさをどこかに感じながら帰路についていると、ふと思い出したことがあった。
そういえば、ブログを書き始めて1年経った。
ブログの説明記事を除けば、一番最初に投稿したのが、花火大会についての記事だった。
去年はひとりで楽しみながら家でぼんやりと見たんだよな。
あの時と、今では、結構いろんなことが変わっている。
活動拠点も環境も人間関係も心のあり方も。
去年の花火大会の日は、その変容の呼び水になった出来事に出会う、前日だった。
長かったような、あっという間だったような、この時間の中でこんなにも変容が訪れるのであれば、出口の見えない迷路みたいなこの悩みも、来年の花火を見ているころには、きっと姿を変えているのだろう。
今はそんなこと全く想像がつかなくても。
今年の花火大会が終わり、1年の月日を感じ、しばらくしてからつよく思ったことがあった。
わたしは変わる。
もっと自分を生きる。
もっともっと楽に生きる。
アンテナは立った。
周波数にあった電波を受信するように、きっと今の自分に必要な情報や出来事がこれから集まってくる。
こわがらず、おそれずにそれを受け取って飛び込んでいけるのが最高だけど、たぶん理想どおりにはいかないだろうな。
こわがっても、おそれても良いから、自分に必要だと思ったことは勇気を出し手を伸ばし受け取って、震えながらでも飛び込んでいければ良い。
そしてその先も、苦行ばかりが成長の糧じゃない。
楽しんで成長することも自分にゆるす。
これから自分は何を思って、どんなブログの記事を書いていくのだろう。
やっぱり、今までよりももっともっとたくさんの「なんか良かった」が集まってると良いと思う。