なんか良かった

日々のなんか良かったポイントを貯めています

自分へのハードルが高いと他人へのハードルも高くなるについて

とある講座の一部で、3分間で自分の良いところを紙に書き出すワークをやった。

ルールは時間内で、できるだけ多くの項目を書き出すこと。

 

以前に比べて自己肯定感は高まっているはずだから、そんなに苦労することはないだろう、と思い取り掛かったが、思ったよりもずっと早くに手が止まってしまった。

 

あれと、これと、それと、あれと…???

 

おかしいな、こんなに出てこないものかな?と首をひねっているうちに、3分経過を告げるタイマーが鳴り響く。

 

結局、わたしが書き出せたのは7つで、一緒に講座を受けていたもうひとりの方は十数項目を書き出していたようだった。

意外と出てこなかったなぁ…と思っていると、先生から告げられた次なるワークも、より頭を悩ませるものだった。

 

「書き出した項目の中から、いちばん小さなこと、大したこと無いかもしれないと思うものをひとつだけ挙げてください」

 

そう言われて自分の書き出した7項目を見返してみると、割と大仰なことばかりで、どれもこれもが取るに足らないと思えるようなものでは無かったのだ。

 

このワークの目的は、普段そうあって当たり前だと見過ごされるような小さな褒めポイントを見つけることだったのだが、自分の褒める対象へのハードルの高さをこうして目の当たりにして、とってもびっくりした。

大きなことでないと、褒めるには値しない。

まだまだ自分に対して厳しい目で見ていたんだな、ということ。

そして、そうやって自分へ高いハードルを課しているということは、当然自分以外に対しても、それと同等の高いハードルを跳ぶことを求めているということになる、ということに気がついたのだった。

 

ワークの目的の開示があったあと、改めてより小さな褒めポイントを意識して書き出してみましょう、と先生。

すぐには切り替えられていない頭で一生懸命考えたが、えーっと大したことないこと…息をちゃんとしてる…?いや、逆にそれって当たり前であって奇跡的なことでもあるんだよな、うーん?!とついつい悩んでしまう。

 

大人は当たり前のことをあえて口にしない。

子どもは当たり前のことを堂々と言う。

このワークに絡めたそんな先生の言葉から、子どもに戻ったつもりで思いついたわたしの小さな小さな良いところは

 

「アリが居たらなるべく踏まないように気をつけているところ」

 

だった。

それに対してみんなあたたかく大笑いしてくれて、今日の小さな褒めポイントで賞をいただいた。

 

それでも、これを書いているうちに、いや、どんな命でも大切にすることは大きなことなのではないのか!?、とか「小さい」と言うことに対して生真面目にハードルを上げようとしている自分もまだ感じるのだった。

 

どんな小さな褒めポイントでも、逃さず拾って、自分も自分以外の人のこともたくさん褒められる、そんなふうになれたらなんかとっても良いし、すてきだ。

日々、楽しく練習していこうと思う。