今までの自分をぶっ壊すについて
まとまらないけれど今言葉があふれるままに書き留めたいと思った。
執着。
どうしても手に入らないもの。
時間を費やしたとしてもどうにもならないもの。
きっとそれらを手放せばその空いたスペースにより良いものが入ってくるのかもしれない。
でも今目の前にある美しいもの、心地よいもの、愛おしいもの、どうしても欲しいと思うものの輝きは何にもかえがたい。
手を伸ばさずにはいられない求心力がある。
だめだってわかってるのに、触れたいと思ってしまう。
たどり着きたいゴールを明確に描かずに、感じるままに動いている。
この感じ、覚えがある。
今から5〜7年前くらいに、手に入らないものばっかり欲しがって、それまでの自分ならやらなかったことばっかりをやったときがあった。
結果としてはぜんぶ上手くはいかなかったけれど、とっても大きなことを学んでわたしはとっても大きく変わった。
なんだか大きな感情と流れに翻弄されたように思っていたけれど、当時から数年たったあと、自分を壊したいがために自ら混沌の中へ飛び込んでいた可能性があったことも知った。
この考え方にはとっても納得している。
今ならわかる。
今だからそう言えるのかも知れないけれど、確実に、明確に自分をぶっ壊したかった。
そうしたら、今のわたしもそうなのだろうか。
あのときの自分みたいになりふり構わず当たって砕けて散ることも厭わないような勢いはないかもしれない。
だけれど静かに着実に今までの自分が壊れていくことを密かに楽しんでいる自分がいるかもしれないとそう思った。
たぶん、また新しい自分になろうとしている。